肝心な所でずれる彼の態度は、外国に行く時ですら変わらない。




「どうするんですか、先輩」
「・・・・いや、俺イタリア語読めないから。」

 浅い川に架かった仮設橋で立ち往生する自分たちは、通り過ぎる人たちの視線に晒されている真っ最中だ。地図と「サルでも分かる!イタリア語入門」と言う本を片手に辺りを見回すも一向に埒が明かない。隣の男は物珍しそうに視線を泳がすだけだ。そもそも田舎の郵便局からはるばるイタリアに来たと言うのも、全ての発端は局長が実家に帰省したとき当てたという商店街のくじ引きで特賞だった“イタリア旅行お二人様ご招待”のチケットだ。彼の母は年齢的にも行くには厳しいし、彼自身も郵便局を離れる意思は無いらしいため、自分達に来たと言う訳だ。期間限定(三・四日程度)なら局長の友人が代わりに働いてくれるらしいので、その好意をありがたく受け取った。そしてこの国に着て初日、早速迷っていた。

「先輩、どうにかしてくださいよ・・・。年上でしょ」
「あー・・・ちなみに言っておくけど、俺甲骨文字しか読めないから。よろしく」
「いきなり爆弾発言ですか!ていうかそんなマニアックな文字読めるなら、
 本の一つでも持ってきてくださいよ!」
「そりゃ無理だって、ここに来る一週間前に金は全部ユーロに代えたから」
「・・・・何気に来る気満々ですか、アンタ」

 来る前あんなに面倒くさがっていたのに、と呆れた口調で投げかけると、相手は素知らぬふり(というか無視に近いもの)で橋の下のゴンドラを眺めていた。花形職業だというゴンドリエーレ(ゴンドラ漕ぎ)も、その端整な顔を崩して訝しむ様子でこちらを眺めている。それもその筈、人の行き交いの激しいこの場所で立ち止まっていたら誰でも怪しむだろう。空腹を満たすために料理にありつこうと思っても、誰も案内してはくれない。こんなことなら断っておけば良かった、とぼんやり思う。いや、それか外国旅行に精通した友人を意地でも連れてくるべきだった。頭の中で後悔の言葉が並べられている間にも、時間は悪戯に過ぎる。とっくに昼食をとる最適な時間は過ぎていた。
とりあえずゴンドリエーレの彼らにレストランの在り処を聞こうとしよう、そう思い立って橋を降りギシギシと音を立てる木板の上を歩いていく。

「えーと・・・Scusi. Posso farLe una domanda?
・・・あ、あと・・ Dove si trova questo ristorante?
(訳:すみません、お尋ねしてもよろしいですか? この店は何処にありますか?)」

 相手にガイドブックを見せると、心当たりがあるらしく何度か頷いて対岸の店を指差した。話を聞けば、もう暫くしてゴンドラを出すのでそれに乗っていけばその場所に行けると人の良い笑みを浮かべて彼は言う。急いで先輩を呼び、そのゴンドリエーレに「La ringrazio(訳:ありがとうございます)」と礼を言い、ゴンドラに乗り込んだ。暫くして動き出したそれは、最初は多少揺れるが、慣れればそれほどでもない。対岸までは三分程度で着き、お金を払い足早にその場を離れレストランに向かう。立てかけのメニューをみて再び立ち止まる日本人二人組こと自分達。

「せっかくイタリアに来たんだし、パエリア食べたいよなぁ」
「・・・パエリアはスペインですよ、先輩」

 メニューを目で追っていた彼は、自分の言葉を聞き心底驚いた様子で振り向いた。「嘘だろ」と言う彼に「本当です」と語調を強めて言うと、残念そうに俯いた。思うに彼は別の国のことを調べていたんじゃないだろうか。いつか「ここの名産はウィンナーだよな」とか言い出しそうな可能性も否めない気がする。今度注意しとこう、下手にそんなことを言えばどうなるのか、旅行経験の少ない自分には見当もつかないからだ。
「えー・・Spaghetti alle vongole・・・ボンゴレスパゲティか。これでいいか」
「単品じゃ頼めないですよ、ガイドブックに書いてありましたし。つかイタリア語読めるじゃないですか!」
「いや、実は局長から電子辞書の“イタリア語編”借りてるんだ。」
「そういうモンはさっさと使え―っ!」
海外に行っても彼のボケぶりはかわらない(自分のツッコみも変わらないが)。とりあえず、予約していた時間を多少過ぎながらも店の中に入った。こういうことがあるかもしれないと遅めに予約しといて良かったと思う。あと二日間、自分がこの旅行をリードしなければ。下手をすれば警察にでも捕まりそうだ。


 暫くしてガイドブック通りチップも置いて腹を膨らませた後、自分たちは赤煉瓦が敷き詰められた大通りに出てきている。相棒の隣で口煩く言う自分と、我関せずといった態度の当人。一体どちらが年上なのか、本気で時折分からなくなる。立ち寄ったカフェで期間限定のメニューを頼んだ。エスプレッソの上にミルクを注ぎ、その上にチョコを網目状に掛けたものをもらう。相方は普段は飲まないブラックコーヒー。ここを選んだ理由は、立ち飲みで済むカフェは気を楽にできるという本の教えから。その言葉の通りこの場所は安心して休むことが出来た。

「なんでまたいきなり、ブラックなんて飲んでるんですか?」
「・・・まぁ、色々と・・」

 渋い顔をして一気に飲む彼の姿を見て、思わず笑みが零れた。口の中では甘い香りとほろ苦いエスプレッソが心地よく混ぜ合わさる。海外という場所に来ながらも、あいも変わらず相方と普段と変わらぬ絶妙な言葉の掛け合いをするのだろうな、と思うと帰国が身近に感じられる。
 (そういえば俺、結構長い時間この人の相棒やってるんだよなあ・・・)
 ぼんやりとそんなことを考える。ぐるりぐるりとミルクを入れた彼のコーヒーに白い円が幾重にも重なっていた。いい加減な彼と、割と真面目な(と言われる)自分が意外にも相方としてこんな長い時間を共有してるのもよくよく考えれば不思議なものかもしれない。それは言うなれば、
 




















 チョコと珈琲な組合わせの如く







参考資料:「ひとり歩きの4ヶ国語会話自遊自在 ヨーロッパ編」
       「旅行会話5ヶ国語 イタリア語」
       「世界の料理・メニュー辞典」