湿りきった真綿で首を絞める。

 それは緩やかに行われる自虐行為、遠い憧憬が今でも自分を縛りつける。






 紅い赤い彼岸花を握って通いなれた石段を歩く、鬱蒼とした森の片隅で大きく息を吸った。彼岸花なんて縁起が悪い、と薄々感づいてはいたが、他の花を贈ろうにも綺麗な花が他に無いのだ。蒲公英や桔梗など山には花などいくらでもあるというのに、何故だが自分が“綺麗”と感じるのは彼岸花しかなかった。縁起が悪いなんて事は無い、花自体は何ら問題などありはしないのだ。ただ人間が後から理由をつけて伝承としてしまうだけで。太陽の光を浴びて透ける、深紅の花は金にも勝る輝きだと思う。
ゆるりと石段を登る。所々松葉色の苔が浮かぶのは、ここが長い間人の手が加わらなかったという証だろう。下駄特有の足音を響かせながら、花の茎を強く握りすぎぬように注意を払いつつ前を見据えると、そこには小さな家屋が孤立していた。ふと耳に樹のかみの声が障る、刹那、眉を顰めるとそれを皮切れにいくつもの「かみ」の笑い声が数重にも重なって奏でられた。それらは笙の笛が奏でる心地よい音色ではなく、自分にとっては全くの雑音だ。煩いことこの上ない、消えてしまえばいいのにと呟くと、山の女神がほくそ笑んだ。「そう願うのは、貴方が“子どものかみさま”だからよ」と、さも母が融通の利かぬ子に言い聞かせるような口ぶりで言葉を吐いた。その声色の裏に嘲りが含まれていることぐらい、とうに知っている。

 森のざわめきが遠くで聞こえた、風が樹を撫で、樹のかみはそれを喜び葉を擦れ合わせ草のかみはそれに同調している中、カラリと戸を開けた。障子の向うに何があるのか心得ている自分は玄関で下駄を脱ぐと、一番奥の部屋へ足を伸ばした。外から見た最奥の部屋は赤い格子がある所為か一目で見分けがつく。日当たりがよいその部屋で、少女は力も無く横たわっていた。その眼差しは格子の向う、木漏れ日の向うに潜む空を見詰めているように思えたが少女の瞳は何も映していない。彼女の眼窩に埋め込まれているのは眼球などではなく、ただその表面に景色を映すだけの玻璃だ。焦点の定まらない視線、光の差し込む方向へ向けられた手は病的な細さをもっていた。単衣が乱れているのも気にしていない、彼女は随分と昔に大切なものを置き去りにしていた。彼女を大切に思うからこそ、其の原因を作り出したが自身だという真実に唇を噛み締めるしかないのだ。死ぬことは許されない、かみである限り存在し続けなければいけないという現実。

 彼女の横に腰を下ろす、狐のお面を横において耳元で少女の名を呼ぶと相手は緩慢な動作で上半身を起こし、笑みを浮かべた。一点の曇りの無い笑み。無邪気で無垢、脆弱で淡彩なその微笑みの表情と、顔の力を抜いた無の表情しか今の彼女は知らない。声を掛けられたら微笑んで、孤独なときは表情を亡くす、これの繰り返し。長い時を生きるのに彼女は余りにも幼く、割り切るには余りにも未熟だった。その中途半端な優しさが彼女をこうした(そして、切っ掛けを作ったのはあくまで自分)。目の前でからからと笑い、玻璃で出来たその眸を此方に向ける少女の髪は艶やかな黒、最初に会ったときと違うのは、自分がそう戒めたから。彼女には、永遠のときを生きる自分と共に居て貰う為に何度も身体を代えて生きて貰っていた。だからかもしれない、違う器に入るたびに彼女の魂は少しづつ、欠けていったのだろう。削れて擦れきったそれは、すでに「存在する」ということしか覚えていない。たった二つの表情をもって、死人の身体に入り、魂を削って無為な日々を送る。


 (どうして、こうなったんだっけ。おれは、別にこんなこと望んだわけじゃ)


 この嘘吐きめ、望んだからこその結果だろう。脳裏に誰かの嘲る声が響き渡る。



 永遠のときを生きなければならない「かみ」は、理が違うだけで人間と然程変わりは無い。様々な能力を持った異なる道理を進む、彼らは怒りもすれば喜びもするというある意味血の通った生々しい感情を持ち合わせた一種の生き物だ。だとしたら当然“寂寥感”というのを持ち合わせていても不思議ではないだろう。永久を生きる彼らにとって、友人であり恋人、家族にして同等であれるのは同じ存在しかない。唯でさえ寿命というものに縛られる人間には姿も、声すら届かないのだから。気付けば「子どものかみさま」になっていた自分には話し相手も、何もかも形を持たない自然物のみ。人の形をもっていても何の役にも立たない、自然物同士で会話する彼らの輪に入れなかった自分は、ずっと自身の姿を確認してもらう存在を求めていた。あの日の指きりが何もかもを証明してくれるようで、あのときほど心踊ることは無かった。漸く見つけたことに素直に歓喜し、そして手に入れることに何ら疑問は感じなかった。

 「可哀想な子。聞こえるのは形亡き者たちの声だけで、誰も遊んでくれないのね。」

 背後から声が聞こえて振り向くと、そこには踝までの長い黒髪を垂らし鶸色の着物を着た女が笑みを浮かべて静かに佇んでいた。彼女は自分の頬に触れて満足気に唇を歪ませた。気に食わない、本当に気に食わない、今更この廃屋に何の用があって来たのか。こんな女なんか早くいなくなればいいのに、山の間を漂うしか出来ない只の浮遊物の癖に。ぐるぐると怒りをめぐらしつつ顔を顰める自分の雰囲気を察したのか、それとも胸のうちを読んだのか、彼女は「ふふ」と小さな笑い声を零し自分を見据えた。

 「ねえ、ご存知?貴方が誰かを見て、評価するように。
 その誰かも、貴方を見定めているのよ」

 なにも見透かした気でいるのは貴方だけではないわと、くつくつ人の悪い笑い声を零した。女性らしさを感じる控えめな動作も、それを見ている自分にとっては全くその意味を成さない。おしとやかな印象など、とうの昔に崩れ去っているのだから。女性は手近にあった狐のお面を自分に被せ、けらけらと笑いながら「よくお似合いよ、狐さん」と馬鹿にする様子でその場を立ち去った。空気に消えた相手の方向に向かって、侮蔑と憤怒を込めた視線を送った。此処ではない何処か遠くで、けらけらと黄色い声が高らかに上げられる。獣の跡には彼岸花は無残にも押しつぶされ、いまや見る影も無い。

 目の前の少女は、自身の首元に短刀を当てられても変わらず笑っているのだろう。あの日、一瞬でも自分が人の形をしていると言う事を証明してくれた彼女が、自分にとってどうしても必要だった。例えあの神社のかみから奪い取るような行為だったとしても、人間という脆く儚い魂を何時までもこの現世に留めるという倫理の外れた行いをしてでも。自分の名前にふさわしい願望、その身のうちに燃え盛る欲望を持つ自分と火宅の子ども、何が違おうか。“神隠し”を装い子どもを連れ去って彼女の魂を入れ替えていくという非情な行動。彷徨う彼らは、鬼火となって夜を徘徊する。冬の日、この廃屋に訪れた雌の狐を殺したのは誰か。自分は白雪を紅に染めた張本人であり、母としての務めを全うしようとしたその生き物の息の根を止めた。静寂と混沌に包まれた空間の中で何も言わずこちらを睨みつける相手の首を、自分は。

 (だって苦しかった、どうしようもなく痛かった。
 あの空気が、あの眼が、まるで自分を責め立てている様で。
 とても耐えられなかった、見ていられなかった、だから、おれは )

 何も持っていなかったから欲しかった、自分を証明してくれる存在が(それが玩具であろうとかみであろうと)。だが結局、その求めていたものと自分とは違う摂理に生きる存在だった。若しかするとそれは玻璃より弱く惰弱な生き物で。そうだと知りながらも自分はそれに頼り、それが消えないようにと欠けた部分を無数の棘のついた布で必死に繋ぎとめていたけれど。決壊の声は耳をつんざくほどの響きを伴って襲ってくる、いつ訪れるかも分からないその時をただ待っているだけと言う無力さ。なんという非力か、彼女がいなくなれば、他の存在を求めるだけだと言うのに。
 ただ、ほしかった。自分を裏切らない、一転の曇りもなく信じれる相手が。
 ふと視線を上げると、笑みを浮かべる彼女の口からボタボタと血が零れ落ちていた。それは白い単衣と布団を鮮やかに彩っていた、口許を拭ってやり微笑む。死人の臓腑が、悲鳴を上げているのが聞こえた。

 「その身体も、もうもたないな」

 またかえなくちゃ、と微笑みかけて名前を呼んでやる。彼女は変わらず笑みを浮かべたまま玻璃の表面に自分を映している(その時の自分は、人の身体を借りていた)。吐息と共に咥内を満たす鉄錆の生暖かな感触が嫌に残る。
 親も声も、心すらも奪っていった自分は、どうしようもない支配者だった。どう足掻こうと傍から見れば玩具を玩ぶ幼稚な子どもでしかない。自然に生きる彼らに対して消えて欲しいという憎悪とは逆に、自分を殺して欲しいという願望を持っていても、何処までいこうが相変わらず自分は支配者であり搾取者だ。もとより彼女に何も与える気など無かった、ただ今にも自分を食い破る寂寥感を埋める存在さえ手に入れられれば。

 おれはこれ以上、何を奪えばいいのかな、と彼女に問い掛ける。すると相手は玻璃の眸を混沌の渦に代えて、自分の首にそっと両手を当てた。その眸の奥に闇に浮かぶ幾つもの灯篭を見て、そうして、緩やかに力を入れていって。彼女は微笑みながら、涙を止め処も無く流していた。







(これいじょう、きみはわたしからなにをうばうの)







急激な空気の奔流は、この上ない彼女からの拒絶







あの日のゆびきりで、何かが閉じていった。













それがまるで、終りのように。

 





+あとがき+
このサイトでは一番暗いんじゃないでしょうか、この話。やったね、これでほのぼのオンリーなんて言わせないぜ!
曖昧だけど時代背景にあわせようと外来語ないように頑張りました・・・・
(ガラスって、あれ何処から来た言葉なんだろうなあ。「硝子」っていう日本語はあるけど。)
最初、このあとがきかなり長かったんですがもう何だか面倒になって御託はいいかなと(笑)
この話のために民俗学漁って狐関係漁って・・・・たんですが現実問題書いていて何も出てこない、と。
し、調べたのに出し切れ無かった;(いつものこと)
でも現実味ないですよね、口から血を吐くって、もっとこうゴバーとだと思うんですが・・・・あれ、病名も調べたんだけどなあ(ォィ)
いやでもあそこでゴバーやったらあかんと思いまして・・・あ、ちなみに首絞られるときはもっと苦しいもんですよ(実験済)
物語上、リアルになりきれない部分が幾つもあるもんだ。

一応ホラーにしたかったんだよ・・・あれでもさ・・・