きっと、誰も気づかないよ。そんなことをぼんやりと呟いた。 黒む赤レンガが敷き詰められた、緩やかな坂道を登る途中にあるカフェ「リタ」。白い建物が晴天の空色に映えた。仕事の合間にこの店に来たのは十数分前のこと、偶然にも今日をオフにしていた彼女、霧の守護者ことクローム・髑髏を誘って屋敷近辺の散歩に出てきたのだ。平日であるせいか大通りの人通りも少なく、お陰でゆっくりとカプチーノが飲めそうだった。店主は自分たちにカプチーノを出し終えると、 「Buona giornata(よい一日を)」と言って、人の好い笑みを浮かべた。 「ここまで来るの、大変だったんだよ」 呆れと、嬉しさを含んだ笑みを浮かべながら向かい席のクロームに話しかけた。彼女は自分の言葉の意図を掴んだようで、小さく「そう」と軽く頷いた。 「護衛付けろって、獄寺くんがさ。数を聞いて、十人って言われた時はびっくりしたよ。」 「うん、十人ぐらいは必要かも・・・でも、護衛なら、大丈夫。私がボスを守るわ」 守護者だもの、と誇らしげに微笑む彼女。ぼそりと「それじゃあ、俺の立場がないんだけどなぁ」と呟く、なんというか本来守るのは自分の方じゃないだろうか。目の前の少女に言い返せない辺り、自分もまだまだ変わってないことを実感した。 屋敷から近い小さなカフェ「リタ」は自分が気に入っている場所の一つで、よく来ていた。古いラジオから流れるワルツ、カウンターの奥に居る店主のリタが入れるカプチーノは、古い客からはよく“イタリア一”と言われるらしい。その評判は嘘ではなく、細かい気遣いをしてくれる彼女の煎れるそれはとても美味しい。目の前の彼女を誘った理由の一つは、この店を紹介したかったと言うこともある。 「ボスは、獄寺に弱いのね」 カプチーノを口に含みながら(二人とも同じものを頼んだ)、不思議そうにこちらへ瞳を向けるクロームの、突然の発言に思わず目を丸くした。 「友達だからね、そんなモンじゃないかな。 リボーンとかには今でも敵わないなぁって思うし」 「他の皆も、やっぱり弱い人っているのかな」 「そうだなぁ・・・」 他の皆、ということは彼女以外の守護者のことだろう。そう考えてゆるゆると思考し彼らの姿を思い浮かべながら、口を開く。 「雲雀さんは、やっぱりディーノさんじゃないかな。ほら、一応先生だから。」 先生とかにって、結構弱いもんだよ。と付け加えると、クロームは至極納得したように「雲雀の家庭教師だったのね」と面白そうに笑った。実際、雲の守護者にこんなことを言うと、彼の言う“咬み殺されて”しまうだろうけれど。 「山本は・・・お父さんだろ。獄寺くんはビアンキで決定だし ・・・やっぱり先生だったりとかすると弱いのかな。」 「ボス、骸様は?」 まだ言ってないよ、と彼女は緩やかに首を傾げた。骸には先生というものがなさそうだった、だから彼の弱い人など見付かるだろうか。少しの間思案していると、弱いのは師匠に限ったことではないことに気付いて、よくよく考えてみると思い当たる人物がいることを思い出した。それは、目の前に居る。 「俺じゃ分からないなぁ・・・クローム、骸さんに聞いてみなよ。」 テーブルに肘をつき、掌を首下に当てながら言う。自分の言葉に驚いた様子のクロームは、少し経て了承した様子で「うん」と短く応えた。本当のことを言ってしまえば見当は付いていた。だがこの場で言ってしまうと彼に悪いような気がして、あえて口を噤む。 (骸さんは、君らには弱いと思うけどな) 犬や千種、そしてクローム。彼らはきっと、彼の弱い場所なんだろう。 ゆっくりと、カプチーノを口に運んだ。店主の計らいか、自分のものにはミルクが多めに入れてあり、クロームのものには自分のものと同じくミルクを多めにしてあり、その上にシナモンパウダーがふりかけられてあった。 「それにしてもさ、案外ばれないよね。マフィアとかって」 「それを隠すのが、私や骸様の役目だから・・・ 分かってしまったら、霧の守護者失格になるわ」 困ったように顔を顰める彼女に、悪いことを言ってしまった気がして先程の失言を撤回するように、急いで手を左右に振った。 「あ、そういうんじゃなくてさ。やっぱ俺ってボスっぽくないよねって話」 「何で?ボスは強いわ」 「いや、強くないって。きっと、俺が十代目だなんて誰も気づかないよ。」 「そうかな・・・」 いまいち納得のいかない様子の彼女に、念を押すように「そうだよ」と続ける。最近は伸びてきたけれど、身長も小さいほうだ。ましてや見かけなど言うまでも無いだろう。だが、そんなことが幸いしてるのか、こうして堂々と外を歩けることは嬉しい。護衛をつけていると、今のようにはゆっくりできないだろう。 ふと空を眺めていると、澄み切った空に徐々に陰りが見えてきた。黒味を帯びた灰色の雲が視界の端から千切れて、今いる場所の上空にぽつぽつと現れ始める。僅かに空の青みが見える、ということは日照り雨か。「危ないな」と呟いたときには、透明な雨水が自分の鼻先に落ちた。そして一気に雨がレンガ道を叩きつける勢いで降って来る。きっと、この日照り雨はすぐ止むだろうが傘を持ってきてない以上今すぐは帰れないだろうな、と気楽なことを考えていた。部下には悪いけれど、休憩時間を延ばしてもらうことにしよう。 隣で、降り注ぐ空の雫に目を奪われている彼女に声をかける。 すると「ボス、雨が降ってるわ」と帰りに困った様子でこちらに視線を向ける。 「うん、そうだね」 柔らかい笑みを浮かべる自分の方を、訝しむ様に覗き込んできた彼女に言った。 ねぇ、クローム。そう言うと彼女は首を傾げて。 「もう少し、ゆっくりして行こうか」 自分の言葉に、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべる。思えば、ここ最近よく彼女の笑顔をよく見ている事に気付いた。よかった、と人知れず安心する。最初会った時は、あまり笑わなかったから。 「はい、ボス」 年相応の、笑みを浮かべて言うクローム。相手に聞こえない程度の声で小さく「ありがとう」と呟く。そしてゆっくりと言葉を続けた。 こんな楽しい気分は、久しぶりだよ。そう言って、笑みを浮かべた。 |