この空と、君との間で。





自身すら飲み込まれそうな、果てない常闇―――宇宙を、ルナマリアは見ていた。
艦内ではブリッジよりか幾分小さい、だが他の窓よりかは大きい展望室のようなところでガラスを介して宇宙を見ていた。この宇宙を照らすものといえば、おそらく何かが破壊され、燃えてしまう時なのだろう。それはつまり、何かの「死」を意味する―――何かが失われた数だけ、常闇に覆われた宇宙は刹那の光を得る事ができるのだ。
随分と長い時間此処に居た気がする。消灯と言われる時間はとうに過ぎ、この通路を通る足音もほぼ皆無だ。この通路において、自身の微かな呼吸音を除いては、この場所を巡る沈黙と孤独を乱すものは何も無かった。手すりに掌を乗せ、自分の位置をある程度固定した状態のまま、茫然としていた。頭の中ではシンと最後に交わした会話が幾度か繰り返され、その度に生きているかもしれない妹に憂いを抱いた。



スパイと言われても、裏切り者といわれても、
自分にとっては今でも可愛い妹だった。



軍人としては恥じるべき思いなのかは知らないが、少なくとも妹と過ごした日々は変わらない。思い出せば思い出すほど、涙は止め処も無く落ちていく。人前では思い出す事を止め、追憶の糸を辿るのはいつも自分ひとりになった時だった。二度、ある人物に泣き顔を見せる事を許してしまったことがある。
シン・アスカに対して、だ。


「――――・・・・・・ルナ?」
声の聞えた方向へ振り向くと、自分のよく見知る人物が佇んでいた。それがシン・アスカだということに気付くのは容易な事だったが、それを受け入れるのには反対に、少しの時間を要した。ふと最後に交わした会話を思い出し、視線を逸らしてしまいそうになる。シン、と相手に呼びかけるというよりもむしろ、独り言のように呟いた言葉を皮切れに彼は言葉を続けた。





「消灯、すぎたよ?」
普段は消灯後には姿を見せないルナマリアが何故ここに居るのだろう。意外な所で真面目な彼女は、この時間には就寝しているはずだ。言われた時間を破っているのはデスティニーの調整と言う名目でいるだけの自分も同じだけれども。自分の言葉に、「なんとなく、起きているだけよ」と困ったような微笑の半分、ごまかすように彼女は言った。本当は寝付けないだけだと思ったが、それを口にすることはなかった。その場の雰囲気が、その言葉を押し殺した。眼の辺りが薄く赤みを帯びている。きっとまた、一人で泣いたのだろうと思うと、ちくりと刺すような痛みが胸に迸った。
「・・・・・・・・・・・・・」
互いが沈黙を決めたままどれだけの時間が流れただろう。おそらくは然程の時は経っては無いのかもしれないが、今の自分にはこの空間での一秒が数分、数時間にも値するように思えた。いつも通りに、話を切り出せない。アスランの生存、メイリンが生きているかもしれない可能性を彼女に言うのを躊躇っていたことへの罪悪感があるのかもしれない。
生きていると言っても、撃ってしまったことには変わりはないのだ。




「あのさ」
彼女の声音が耳に入った瞬間、俯いていた顔を弾けた様に上げた。視線が合ったことに対して安心したような笑みを、彼女は浮かべる。目を見開いたままで視線を相手から外さずに凝視していると、暫くして彼女の声が体中に染み込む様にして響いた。
「ごめんね、あの時・・・・勝手なこと言っちゃって」
苦笑しながらそういった彼女に、不思議と首を横に振るしか自分にはできなかった。本当は自分を憎んでもいい筈の、彼女に対して、だ。
ゆっくりと無重力を漂うデブリに混じった星屑が見える。冷たい静寂が厚みを持ってこの空間を覆った。空調の利いた通路では、少し肌寒くも感じる。震えているのは、おそらく寒さのせいだけではないと思うけれども。口内を砂で埋め尽くされたような、言葉を吐き出すことすら叶わない感覚に陥る。滲んでしまいそうになる視界が完成されてしまう前に、唇を噛み締め、ざらざらとした胸の凝りに混じり口内に鉄の味が染み込んだ。
「・・・・・・っ」
何を、言えばいいのだろう。視線を逸らし俯いた姿は現実から眼を背けている様に映るかも知れないと思いながらも。垣間見たルナマリアは普段の姿に似つかない、痛々しい姿に見える。本人にとっては、無意識的なのかもしれない。ただ、胸に込み上げる感情の正体すら理解でないままだ。気づけば彼女の姿は視界になく、それがルナマリアを自分が抱きしめていることに気づき、一気に視界の端から滲んできた。この涙を誰にも悟られないようにと、より強く抱き締める。暫くして、背中に彼女の手が回されると、温もりが触れた場所を通じて全身に行き渡る。無重力で緩やかに靡く深紅の頭髪を見入りながら、目を細めた。
ふと、声が聞こえた。ひどく優しい声音は、鼓膜を通り抜け空気のように身体に染み込む。沈黙を破るには到底叶わなかった声は、今にも消え入りそうだ。
ただ、一言だけ。「忘れないで」、と。



「・・・忘れないで」
無意識に吐き出してしまった声が彼に届いたかは私自身、確認することはできない。あの子----メイリンのことは背負ってほしくないとは思いながらも、記憶の何処かでは覚えていて欲しいと思うのは、我儘だろうか。迂闊にも言ってしまった、自分を叱咤する。



ルナマリアが手を離したのを感じ取ると、ゆっくりとシンは手を緩めた。漸く互いに距離を置くと、ルナマリアは微笑を崩さないまま「おやすみ」と一言だけいい、踵を返し岐路につこうとした。数メートル、シンとの距離が開いたときだ。
「ルナ!」
ルナマリアは背後から響いている、自分の名を呼ぶ声がシンのものだと理解すると、振り向かないまま立ち止まる。視界が揺らめき、滲んでいくのを覚えていたからだった。
「明日また・・・・・話、できる?」
不安を隠せない声に、ルナマリアは涙を耐え微笑みながらシンの方を振り向いた。今までの静寂が温かみをもち、不安定な足元を冷たい床に立つことで安定を取り戻す。深呼吸を一つ付いて、笑みに目を細めた。
「・・・・・・・・うん。」
相槌を打つように応えると、視線を戻そうとした中で一瞬だけ安心したように微笑を見せるシンの姿が見える。それに気が緩んだのか、一粒の涙が無重力に零れ落ちた。


シンも身を翻し、自室への帰路へつく。
胸に凝る何かが、取り払われたような気がする。先ほどまで滲んでいた視界は晴れ、僅かな水滴が目尻に残った。瞳から吐き出されたものは、一滴の涙として、重力の無いこの空間で、静かに音も、声も立てずに浮かんだ。

































渇いた砂に水が染み込むように、微かな温もりが掌に残った。



Stardust (独):星屑