どうしても、嫌いなやつはいない。けども、少し苦手なやつはいた。




 「ルナマリア・ホーク!」
 人工的に太陽の光を模造したそれが、アカデミーの無機質な通路に差し込んでいた。これから向かおうとする方向の反対側から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。漆黒の黒髪と、深紅の瞳。コーディネーターにしては珍しい容貌の男が、自分の名前を呼ぶ声と共に。
 「何」
 ぶっきらぼうに応える。今、鏡を見たら、おそらくはあまり好い顔はしていないだろう。男はそんなことを気にする様子をせず、手に持っていた、文字とグラフを羅列させた数枚の紙を私に渡した。
 「このまえの射撃の結果。教官から連絡を頼まれてて――――」
 そう言い出すと、淡々と、というよりも無関心そうに頼まれた連絡事というものやらをずらずらと言い並べる。そして、一通り言い終わった。
 「ありがと。あぁ、あと。・・・私の名前、“ルナ”でいいわ。長いでしょ」
 とりあえず、愛想笑いをする。が、
 「わかった、じゃ」
 こちらの言ったことを本当に了承したのかもわからない応答。
 この男、本当にわかっているのだろうか。
 少しばかり、抗議の声を出そうとしたが、あえなくその黒髪の男はもう見えないところまで行ってしまった。



 「絶対、わかってない・・・・」

 誰へ向けたのか。その言葉は誰にも気に掛けられる事無く虚空へと姿を消していった。



 その抗議の声を向けようとした男のことは知っていた。
 名前はシン・アスカ。同期の仲間だ。
 成績は結構なものなのに、自分が納得いかないことには教官にまで反抗の意思を示し、全身棘だらけじゃないだろうかと思うほど、近しい者も皆無だったし、人と親疎にしている様子は見たことも無い。
 コーディネーターにしては、黒髪というものは珍しい。彼一人しかいないと言う訳でもないが、あまりみかけない髪の色に、意外にも血の色をした赤いその瞳は、よく適合していた。顔は悪くないが、 その性格から周りからもあまり関わろうとするものもいない。
 いや、面白半分で挑発する輩は幾人か存在するが。

 いずれにせよ、私にとっては少し気に食わなかった。
 幾度にわたって「ルナ」と呼んでくれと言っているのに。一向に聞く耳さえも持とうとしない。愛称で呼ぶのはある意味で仲良くしようとする意思の表れなのに。

 「そう、気に食わないのよ」

 「えっ・・・と・・・・何が?お姉ちゃん」

 アカデミーの自室にて。自分とは対照的に、「かわいい」という形容詞が似合う妹と一緒に、本を数冊か広げているだけの勉強の最中。私の言葉の意図がつかめない妹は、少し困った様子で尋ねてくる。無理もない話だと思い、「シン・アスカって奴のことよ」、と飽き飽きした顔で言うと、妹のメイリンは、ああ、あの子か。と困ったように、笑った。ほとんど接点がない彼女でも、やはり彼のある意味での活躍は知っていたらしい。
 「しょうがないよ。あれ、素でしょ?」
 曰く、要は上官に逆らうのも自分から他人を遠ざけるのも。個人の自由なのだから、しょうがない、ということなのだろう。そういう言葉もあるかもしれない。彼が人を避けようとも一人になろうとしているのも、確かにそれは彼の自由だ。それでもどこか、なぜか気に食わない。
 よく使う言葉だが、今回ばかりは私の意地だ。

 その後に、話を変えて楽しく妹と談話すること数時間。
 その間にも日は傾きを示し、暖かい陽光は沈み、次第に部屋に影を落としていった。このプラントに夜が来た。そろそろ夕食の頃合だろう。
 メイリンは持っていた本を両手に抱え込むと、部屋を離れる言葉を残して別の友人の部屋へと行ってしまう。

 調節された空気を大きく吸い込んで、吐き出す。
 訓練などで気だるくなった身体を椅子から離し、よろよろと足を進めて、勢いよくベッドに横たわった。少し冷えたシーツの温度を心地よく思いながら、今日の出来事を頭の中で並べた。
 やはり、思い当たるのはあの男の態度だ。

 上半身だけ、起こした。む、と顔をしかめる。胸がもやもやして晴れない。
 思い立ったが吉日。今日のことを明日まで延ばすな。そういったのは誰だったかは覚えてないが、ともかく今日出来ることは今日しないと自分にとって後味が悪いだけだ。
 おし、と意味も無く意気込みの声を口すると、立ち上がって、ドアを開ける。そのドアの開く速度さえも少々遅く感じた。

 アカデミー内を歩き続けて、数十分。
 彼の人を寄せ付けない性格がその効果を証明したとでも言うように、何処を歩くもあの黒髪の姿を見つけずにいた。誰に聞いても知らないとしかいわない。胸に苛立ちがよぎるのを覚えながら、足を留めなかった。
 歩いていくと、通路の曲がり角が視界に入り込む。
 「で、―――――でした」
 聞いた声。間違いない、あの男だ。記憶力には自信があるし、おそらく間違う要素も無い。そう自分の中で結論付けると、曲がり角まで走る。疲れたと言う思いよりも見つけた喜びのほうが勝ったのか、直走りした。
 ちょうど相手と別れたところらしい。後姿からおそらく教官だろう。きっとまた、叱咤を受けたのだろうと言う推論が、脳裏によぎる。



 「シン・アスカ」



 まだ自分は、名前で呼ぶことを相手に了承得てない。それに気後れして、フルネームを口にした。
 「ルナマリア・ホーク・・・・・?」
 ああ、やっぱり。何も聞いていなかったんじゃないか。
 一息つけると、相手の顔を睨むように見つめた。
 「何か用」
 あきらかに聞く態度ではないが、つい数時間前までは自分もこう対応していたから、何もいえないだろうけども。私から目をそらし、飽き飽きした表情をはっきりと表していた。馬鹿にしている様子も、見下している様子もないが、ともかく私を見るのも億劫そうだ。

 沈黙が漂う。ただ愛称で呼んでくれと言うだけなのだが、そのまま今までどおり伝えても、きっと首を縦に振らないだろう。ならば、どう言うのが目の前のこの男にとって効果があるのか。その思索をめぐらすと共に、視線だけは彼の目からはずさないようにと努める。
 しだいに考えていくうちに、その思考は自棄へと向かっていた。
 「じゃ、用がないなら・・・・」
 冷たい視線をこちらに向ける。それに場違いな腹立たしさを覚えると、今まで乾いていた喉が一気に潤い、言葉が喉を通った。


 「何度言ってもわからないようだから言うけど。私のこと、フルネームで呼ばないこと。“ホーク”も“ルナマリア”もなし。できれば“ルナ”で。それまで連絡も言付けも一切受けないから」


 今の今まで溜めていた言葉を一気に吐き出し、ついで「OK?」と駄目押しをする。
相手は瞳を大きく開くと、すぐに緩めて、その代わりに大きいため息を吐き出した。よほど驚いたのか。それとも呆れ果てたのか。おそらくは両方とも思える。
 「・・・・・ルナマリア・・・・じゃないんだよな、えっ、と・・・・・・・」
 しどろもどろな応え方。会話を進めようとしている様子が、少しおかしく見えた。普段からあまり会話を交わさないのだろうか。再び二人の間に無言と言う沈黙の空気がその場に現れようとする。いや、このまま相手も自分も黙したままだと、このまま黙止されかねない。
 ここは、一つ。もう一度言ったほうが良いだろうか。と口を開きかけた。瞬間、形の良い口許が動くのを凝視していた。


 「・・・・っと、ルナ?」


 その声が、静かな通路に僅か、響いた。
 今度は私が驚きを隠せずに、口を開いたまま相手を見据えた。
 「は・・・・―――――?」
 情けない声も、次いで響く。先ほどの彼の声が耳に残っていた。
 相手は不服そうに目を細め、拗ねた顔をする。不思議と今までの刺のある雰囲気も今はすこしだけ剥がれたような気がし、おもわず瞳を見開く。
 「そっちが呼べって言ったんだろ」
 愛称を読んでくれた効果なのか、微少ながらすこしだけ打ち解けた感じがした。少しの悪態も、それの一つだと思えるほどだ。つい、その達成感からか、頬が緩んでしまう。とりあえず、相手の言葉に応答した。
 「いや、こんなに早いと思わなくて・・・・いや、ありがと」
 つい感謝の辞を述べる。こちらから頼んだことだから当然なのだろうが。私にとっては嬉しいことに変わりない。この瞬間のための今までの努力も、無駄ではなかったようだ。
 「何だよ、それ」
 刹那、彼の顔が笑みを浮かべるのを、見つける。
 「・・・・・・・・今、笑った?」
 ふと、確認してしまう。すると相手は吃驚した様子の後、「笑っちゃいけないのかよ」とまた年相応の笑顔を見せる。案外、いい奴なのかもしれない。本来は、きっと根の底から棘を持つ奴ではないのだろう。
 証拠も無く、ただ仄かに確信した。


























二人して夕食を逃してしまったのは、その後の話。


Spitzname (独):愛称







+あとがき+
とりあえずフルネームで呼び合うのってかわいいなぁとおもいつつ(謎)。
最初のうちは仲が悪そうで、後からだんだん仲良くなっていく感じかな、と。
ルナマリアと仲良くしだしてからシンに友達が増えた、とかだとあまりにも
主人公の社交性に乏しいといっているようなものなので。
とりあえずルナがシンのザフトでの友達ナンバーが一桁(何)だったらいいなぁ