そして非力な王女様は、永久につづく眠りについた。



 古い御伽噺の言葉。茨に覆われた中で眠る、女性の物語だったか。もう十年前ぐらいに聞いた話だから自分の想う結末に関してはいまいち、信憑性にかけるだろう。だが大抵の童話は男性が女性を助けるから強ち間違っているとも言い難いかもしれない。よくよく思えばなんでこんな、とうに年代の外れた物語を思い出したのか。もしかして原因は、目の前で眠る少女のせいか。

 じゃあ、自分は王子様か何かだろうか?
 自分の考えに、口の端だけ歪めた。

 広々とした庭に置かれた、孤独なベンチ。近くにある桜の樹が木陰となっている。夏に近づいていくこの時期には涼しくて心地よい、絶好の休息場所だろう。正午を過ぎたこの時間にその場所を占有しているのは、たった一人の少女日に当たったことがないと思ってしまうような白い皮膚、腰までかかる長い黒髪はうっすらと浮かぶ汗で、彼女の頬に張り付いている。気温がやや高いともあってか、微かに頬は上気している。小さな手の下には、古ぼけた紅い表紙の本があった。辺りの異様な静けさが、人形と見紛うほど整った顔立ちの彼女を包んでいく。上気したと言っても、木の影に隠れたせいか顔はやはり白く目に映る、汗と小さな寝息がなければ死んでいるのかと勘違いしてしまいそうだ。

 晴れの日にベンチと共に置かれている、白く塗られた木製の机。アンティークのような細工も施してあったが、配置場所が悪いせいで僅かにペンキが剥がれていた。その机の上には自分が用意した二人分のアップルティーと、知り合いから頂戴したチョコクッキーがきちんとある。彼女を起こすのには気が引けたので、近くにあった本を手にアップルティーを口に含む。本の内容は、童話だった。自分で持ってきた椅子に腰掛けながら、ゆっくりと読み進める。
 茨に囲まれた王女は、色とりどりの花に囲まれる中で気持ちよさそうに眠る彼女と印象が重なる。自分の性格からして、童話に出る王女と同じ状況に置かせることは心許ないから、重なるようにして見えたのは別の理由だろう。もしかして、彼女の容姿かもしれない。一見すれば“綺麗”と評するに十分なほどの少女だから。そう考えれば、納得がいく。

 日差しが強くなってきた。気が引けるといっても、そろそろ起こさないといけないだろう。そう考えて当の人物の肩を揺すって声をかける。「そろそろ起きろ」と言うと「おはよう、王子様?」とからかう様な口調で言った。意識が明瞭としているから、おそらく少しの間、狸寝入りしていたのだろう。そして自分が先ほどまで彼女の言葉に出てくるような童話を読んでいたことも相手は把握している。彼女のほうが、自分よりも一枚上手だったらしい。

 「起きてるんなら、とっとと起きろよ。こっちがせっかく準備したのに」
 「ん・・・ごめんね、任せっきりで。 
  この本、明日までに返さないといけなくて…」
 「またあの叔父さんから借りたのか?…懲りないよな、お前も」

 いつもと同じく返却日を大幅に越えたであろう彼女の様子に呆れて、溜息を一つ吐いた。お互い席に着いて個々にお菓子を食べたり、本を読んだり別々の動作を行った。いつも通り、本を読み進めつつ紅茶を口に含んでいると、お茶飲み相手が興味深そうに此方を覗き込んでくる。最初は気にしてなかったが、結局無視できずに「なんだよ」と抗議の声を上げる。すると彼女は「それ、面白い?」と言い出して、それに「まあまあ」と素っ気無く返した。答えた内容が思っていた通りだったのか、それとも答えた行為が嬉しかったのか、彼女は無邪気な笑みを浮かべてチョコクッキーを一口だけ齧った。

幼いころに知る彼女の笑みは今も変わらず、あまりにも無垢なものだった。喩えるのなら枯れることのない花のように、変化を赦さない笑み。この少女自身が「変化」を頑なに拒み続けるからか、それとも何時までも「子供」であり続けたいと願うからか。目の前の相手と違い、年を重ねる毎に世界の汚泥を見つけていく自分には少女の笑みが変わらぬ理由など、到底理解できそうにないだろう。御伽噺から抜け出したように、色褪せることのない微笑を浮かべる少女。それは茨の中で眠る姫君のように「変わる」ことを拒否し続ける存在。
だからこそ、彼女に自分の胸中を話すことはない。話せば無垢な少女は消えてしまい、一人の“女性”となる。彼女自身もそれを知っているだろう。

そんな彼女をここまで守ったのは、茨に囲まれたこの屋敷だった。
この屋敷に迷い込んだのは一年前。学校の帰りにその町を好奇心で散策する内、森に足を踏み入れてしまったのだ。元々自然溢れる土地だったが、森があるのは知らなかった。完全に迷子となった自分がそこで偶然見つけたのがこの場所。それから学校の帰りに幾度か足を運んでいる。何故かその屋敷にいたのは小学生のころから音沙汰のない、幼馴染の姿だった。
そんな昔のことを考えながら席を立つ。少し離れた場所にある花壇の傍にある数個の鉢に入れられている美しい花々。暇つぶしに自分が作った、小さな庭園だ。その中から淡い紫色のバラの花を一つ手折り、丁寧に棘を抜いて、彼女に差し出した。


 「……あげるよ、これ」

 優しく、ガラスにでも触れるかのような慎重さで、少女は両手で丁寧にそれを受け取った。自分の望んだ無垢な笑みを浮かべながら、形のいい口許が感謝の言葉を紡ぐ。彼女のその姿は、さながら“姫”だったけれど、自分の姿は王子様よりも“庭師”のように。ひどく純粋な少女と比べ自分が惨めに感じてしまう。


 “庭師”ということは、叶わない望みなんだろうな、これは。

 愛されることのないことぐらい、知っていたよ。
 自嘲ともとれる微笑を、張り付いた笑みの裏で微かに浮かべた。
 

話し相手を望み続けた彼女は、自分が来るのを待っていてくれるだろう。
 茨に囲まれた場所に、そんな彼女を置き去りにできないから、
 できるだけ此処に来るよ。そして時が許される限り傍にいる。
 
























 御伽噺の庭師は、茨に晒され、ただの骸になってしまったけれども。


Rosa (羅):薔薇