目の前にあるのは、小さな墓石。






 「・・・・・・・・・・久しぶり、元気に、してた?」


 まるでそこにその人が在るかのように喋る男は、ある種、滑稽に見える。
男は手に持っていた色鮮やかな花束を、壊れ物を扱うかのようにゆっくりと添えた。灰白色の石の塊。それを人は墓石と言う。あの男と同じく、私の戦友も、ここに眠っている。
 その男は、闇に溶けるような黒髪と何もかも受け入れることを許さない鋭く射抜かれるような、狂気じみた赤い双眸を持っていた。顔には優しい笑みを浮かべ、心から再会を喜ぶような彼。
 激しい、悲しい、そしていろんなものを失ってしまったあの戦争から。
 何が彼をそうさせたのだろうか。人間のエゴか、それとも狂ったこの世界だろうか。どちらなのか、それともこの選択のほかにも何かあるのか。今の私にはそれを探し当てることは困難だ。

 「ごめんな、しばらく会えなくて」

 戦いは、全ての人を狂わせている。
 大きな沼の中に飲み込まれ、指先さえも見なくなって、目に見える空が、泥に満ちるようだ。
 いっそ、汚れて欲しいとさえ思うこの空。気持ちとは反比例して、強い青が空を染め上げ、雲ひとつも見えない。太陽が与える光がしなやかな草地を照らしつける。石の塊に出来た影と、背後に感じる強い太陽の与える、日差し。深い陰影を映し出し、ひどく暑い。背筋と頬に汗が一滴、伝っていく。
 この石造の前に、一体のどれだけの人が来たのだろう。




 「・・・・・・・帰ろう」


 ポツリ、と言葉を漏らす。きっと彼には届いていないのだろう。手を伸ばせばすぐ届く距離なのに。この男とは、心の温度差も、ましてや距離さえも遠くに感じて仕方が無いのだ。彼の耳も、思考も確かに機能している。それでも、彼は私の声を受け取らない。

 刹那、吹いた風に靡く自らの髪が、視界を邪魔する。

 昔は好きだったこの紅の髪も、今は戦争の頃に見た血を連想するようで、嫌いになった。私と同じ理由で、彼も自分の瞳を嫌った。初めの頃は自慢でさえもあった赤服。ザフトの象徴を自分は身にまとっているのだと。かわいい妹も、志を同じくした戦友も。今にとっては懐かしい。

 何が正常で、何が異常なのか。

 その境界線はあまりにも危なく、あやふやで、儚い。私の精神は、時々自分自身のではないような気がするのだ。誰かの精神に感化されて、刷り込まれていないか。いやむしろ、私は今まで正しいことをしたことがあったのだろうか。この思想は、誰のものなのか。
 私が、私でなくなる気がする。

 全てを包み込むようなこの丘で、墓石が並んでいる。
 ゆったりとした起伏。立ち並ぶ墓標達。
 一秒が、数分、数時間にも値するような長い、長い時間に感じてならない。
 彼の話す言葉の一言一言が、心に突き刺さり、抜くことも出来ないような棘が降りかかる。それから逃れる方法を、模索している自分がいる。光を欲するように、出口を探す。まるで、迷路をさまよう幼き子供のように。

 
 楽しげに石の塊と話すその男は、気まぐれに私のほうを向く。









 「ほら、ルナも挨拶しろよ」








 まるで、友に紹介するような明るい顔。
 そして歪む、私の顔。

知っているのだ。誰がここに眠っているのか。
知っているのだ。何処で、死んでしまったのか。

 彼は、この墓に眠る戦友と話しているのだ。悲しませられない。悲しませてはいけない気がするのだ。ただ、無意識に。あてのない憤りを唇を向ける、強く噛み締めたその痕から、鉄の生暖かい吐き気を覚える味が、広がっていく。噛み締めていた唇を緩める。口許を引きつらせ、嬉しそうな素振りで、微笑んだ。



「うん。わかった」



 私は石の塊と楽しげに話す振りをする。私は、愚かだろうか。
 ここにいないと、もう死んでしまったのだと。何故、言えないのだろう。
 言ってしまったら、何もかもが音もなく、崩れ去るような気がするからだ。
 なんと臆病で、あさましい。
 「お前も、遊びに来ればいいのに」
 それはかつての戦友ではなく、ただの石でしかないモノに、話している。
 ただ、思った。
 石の塊が何故、こんなにも重くのしかかるのだろう。
 全てを認めて、泣けばいいではないか。
 きっと、もう。彼の瞳に私が映ることはないのかもしれない、と。


 生き残るのは、罪悪だったのだろうか。







 「・・・・・ねぇ、帰ろうよ」



 ああ、涙が溢れて来て、どうしようもないよ。














































 それが君の、選んだことなの?


Grabstein (独):墓石