その雨は、まるで誰かが泣いているようだった。



月が昇る前の短い夕闇。耳朶に触れる雨垂れの音は、落涙の音にも類似するようだった。誰も通らない通路に座り込み、両足を伸ばす。甲板へ続くこの通路に誰の足音も聞えず、雨音のみが鼓膜を叩く。思考を働かせることはせず、むしろ何も考えまいと茫然と視線の先に佇む海を見詰めていた。戦闘の後が甲板にも著しく見られた。所々、傷ついた甲板の硬質な床。その窪みに溜まる小さな水溜りは幾つもの波紋を描いている。当然の如く月は黒雲に埋もれ、目に映るのは鉛色の空のみ。
先程の、今にも泣き出してしまいそうなルナマリアの顔が思い起こされ、急いでそれを振り切った。責められると、思っていた。だが結局彼女は自分を責めずに、そのまま別れたのだった。何故、と自問するが、それは無意味に等しい。なぜならば彼女にしか分からない答えだからだ。考えてみればおかしな話だ。メイリンを殺したのには変わりが無い筈なのに、責められることを覚悟しておきながら何を今更それを怖れる。遣り場のない憤りが胸に募る。拳を握り締め、痛みが迸るのすら気にせずに、ただひたすら消えてくれるのを望んだ。

 「・・・・・・・・・・・・ル、ナ・・・・・?」

 何時の間にか、傍に佇んでいた少女の名前を呼ぶ。彼女は呆れた顔で「こんな所で何をしているの?」と言うと、自分より少し離れた場所に同じように座り込んだ。お互いに一息つくと、彼女が話し出した。普段の、他愛もないことだった。いつものように話しているはずなのに、今となってはそれが異質に思えてしまう。いつか、その口からメイリンの事が話されるのかと思うと、落ち着いた気分で彼女と会話はできない。目を逸らし、視線を甲板へとひたすら向ける。それしかできないのだ、と言い聞かせながら。
 アークエンジェルにメイリンが居ると知ったら彼女はどうするのだろう。軍人として十分に心得ている事は知っているが、それ以上に一個人としての彼女の行動が気になった。脱走か、それともこのままあの艦と戦う道を選ぶのか。それは、彼女のみが知る答えだ。
 ゆっくりと少し離れた彼女の顔を見つめると、思うより先に言葉が出た。

 「・・・・・・ルナは、あの艦に行くのか・・・・?」
 瞬間に、言っってしまったことを後悔した。酷な問いをしてしまった、と。驚いたように眸を丸めてこちらを見詰めていた。ふと視線を逸らした彼女の姿を見るのがどうしようもなく居た堪れなくなって、吐き出すように「ごめん」とだけ呟いた。
 未完成な静寂が辺りを包む。雨垂れの音は、雑音のように静寂を掻き乱し、聴覚にその存在を誇示するようだ。視覚を通路の銀白色の壁が覆い、声を発する事も無く、ただ茫然とその状態のまま居尽くした。ふと彼女に視線を移す。微笑を浮かべたルナマリアが、口許を動かすのを、ぼんやりと見つめた。

 「・・・・・・・・・・ありがと、ね。シン」
 「――――え・・・・」

 無意識に反応した。先程まで口を閉ざしていた彼女の言葉に、だ。彼女は顔を此方の方に向け、困ったように笑いながら言葉を紡ぐ。
 「メイリン・・・生きてるかもしれないから、さ」
 何故、自分に「ありがとう」と言うのか。意味も解せぬまま、不思議と聞いていられなくなり俯いた。顔を合わせられない、聞きたくない、などまるで子どものようだと自分自身を叱咤するが、それでも俯いたまま彼女と顔を合わせなかった。「軍人としては、駄目なんだろうけど」とだけ呟いたルナマリアに、それを否定する事も肯定する事もしないままでいた。聞き流すことも耳を塞ぎ、ここから立ち去る事も出来た筈だ。だがそれは裏切りにも似た行為に思え、実行へ移す事は無かった。もう悲しませたくないと思いながらも、結果的にはメイリンが生存しているかもしれない事を姉の彼女に言えなかった自分の行為がある意味での裏切りになるのかもしれない。
 雨が激しさを増す。俄雨もすぐに過ぎていく、そうすればこの雑音も消えていくのだろう。


 雨を見える度に思い出す、かつての上司と同僚の妹を殺そうとした瞬間を。
 海を見るたびに思い出す、守り切れなかった敵軍の少女を。
 反芻する記憶が、重く圧し掛かる。戦いの無い平和な世界と、大切な者を守るための力を得ようとする過程の中で、様々な何かを失った。ふと顧みると自分に残されたのは殺そうとした“裏切り者”が生きているという情報と、アスランとメイリンとの記憶。そして、ステラとの記憶だった。家族を殺され、軍に入った自分に残されたものとは何だったのだろうか。
 
 「さてと、私、もう行くから」
 そう言い残して彼女は深呼吸を一つする。立ち上がり、半歩ほど歩くとこちらを振り向いた。彼女の後姿を凝視していた自分にとって、いきなり振り向かれ思わず顔を逸らした。そのせいか相手の表情を見る事が出来ない事に遅れて気づくと、少し後悔をする。
 深いため息が聞えると、ブーツと硬質な床がぶつかり合う音が徐々に迫ってくるのに驚いた。何があるのか、と思うとふと頭に温かい感触がした。ああ、人の手だ。

 「しっかりしなさい。あっちで待ってるから」

 そう言って手が離れるのを覚えると、弾けるように顔を上げた。丁度、彼女が振り向いて、去ろうとしている時だった。徐々に小さく見えるその後姿に、唇を噛み締める。最後の最後で、励まされてしまったという情けないさが込み上げると同時に、眸に残る映像に、憤りを覚えた。きっとそれは、垣間見えた彼女の青い色の眸とは対象の、赤く腫れた眸と、頬に残る涙痕を見てしまったせいだ。
 見なければ良かったのかもしれない、そうすれば彼女の言葉を少しは素直に喜べるはずだった。いや、見るべきだったかもしれないという思いもある。見なければ、今の彼女の苦しみを想像の範疇でしか把握する事ができなかったかもしれないからだ。

雨 脚が消えていく。雨上がりの空は蒼く澄み、思いつめた黒雲は姿を消す。
 瑞々しい空気が辺りを満たし、外へ伸ばした手の甲に水滴が滴った。
 知らず知らず頬を流れていた一滴の涙に気づき、此処には居ない少女の後姿を思い浮かべながら。
 





























 
 水溜りに幾つもの波紋が広がるのを、ただ茫然と見つめていた。

Dusche (独):にわか雨


+あとがき+
どうやら私は変なところで書きにくくなるそうです(何)
絡みが無ければ脳内補完でいいんですが、絡みがあっても脳内補完全開で(ォィ)
この時のルナは結構混乱していると思いましたが、雑誌で見た「自分の中で解決する」というのを見て、
今回はそれで。はい、文が雑なのは知ってますから・・・・・!(汗)
とりあえずシンとルナが一緒にいる間は脳内補完していこうかな、と。
大好きですもんよ、この二人(本音)