夢を、見る。
夢を見た。とても、とても幸せな夢だった。
千切れた青空の波間から、零れさす光の祝福を受けた場所。
新緑を思わせる緩やかな丘陵がゆるゆると続く茶色の線の先に佇んでいた。あたりに散りばめられた、葉を濃緑色に染める樹の下陰で自分の家族が幸せを一心に受け止めたような表情で楽しそうに話していた。
鮮やかな花が辺りに咲き誇り、もしやここは天国なんじゃないだろうかと見紛う程ひどい幸福が雰囲気となってこの場所を包み込んでいるようだ。
家族は自分を見つけると手を振って、さも当然の如く呼びかけている。
小鳥のさえずりも、葉と葉が風により擦れあって出す音も、ましてや頬を撫でる微風の声も聞こえるのに、家族の、マユの声や父母の声すら鼓膜に届かずにいた。
それでも気にせずにその場に佇んでいると、深紅に染められた髪が靡くのを見る。自分の肩をたたく白い指先も見た覚えのあることに気づいて後ろを振り向くと、先程見た深紅の髪を持つルナマリアがその顔に微笑を浮かばせながら言った。
“家族のところに行かないの?”と。
晴れた空を見るような、鮮麗な青い瞳を細めて、顔全体に優しさが含まれているような感じがした。彼女の他にもレイやヴィーノ、ヨウランやメイリンも幸せそうにこの場所にいる。
心の底からこの平和を歓喜する。
傍にいたルナマリアに、“ここは平和だな”と声をかけると、優しさすら感じさせる、ひどく綺麗な笑みを広がせながら“シンらしいね”と言った。その声すらこの場所を維持する一つの理由にも思える。
空を、徐々に灰を被ったような雲が覆っていく。迫り来る静寂にすらこの場所に縋りつく為に気づかない振りをする。
次の瞬間。雷鳴が唸りを立ててその空間を自らの光で白に埋め尽くした。
その“白”は視界をその色に埋める。目も眩むような閃光に思わず唸る。そうして慣れない目をあたりに向けた。
誰もいない。白い世界に置いてかれたようなひどい虚無感と孤独が襲う。
足元に気配を感じて視界を地面に向けると、そこにいたのは、深紅の髪の彼女が何処にも傷跡すらみえないのに横たわっている。背筋に振り切れることのない悪寒が這いずり回っているのを感じた。
眠っているのか、そう思って手を握る。
「・・・・・・・あ。」
起きてみると、真っ先に目に入ったのは時計の中にある針の居場所。休暇といえどもその針は昼頃を示していた。背中に汗を感じ、それが気持ち悪く思えて上半身だけ起こす。頭を左右に振ってぼやけた眼を覚まさせた。相室の友人はとうに姿が見えない。
しばらくその状態のままで入ると、ドアが開けられる音ともに先程まで夢で聞いた声が鼓膜を打ち付ける。
「何時まで寝てるつもり?早く起きなさい!」
母親のような口調で入ってきたルナマリアは大口たたいてそう言うと、手に持っていたらしい食事の乗ったトレーを床に置いた。あまりの唐突さに目を丸くして凝視していると、さっさと彼女は昨日の夜にちらかした自分の机をさっさと片付け始めた。
「早く起きて、顔洗ってきなさい。食事持ってきたから」
手を動かしながらよく女性は話せるな、と感心しつつ彼女の言う通りに赤服を身に纏うと洗面所で顔を洗った。タオルの間からみた彼女の姿はいかにも“お母さん”というような感じだ。ふと、夢がフラッシュバックする。
「ルナ」
そう言って、急かすように掴んでしまった彼女の白い手首。そこにはちゃんとした温かさがあった。大丈夫、大丈夫だ、と自分に言い聞かせてふと気が付いた今の自分の行動に顔が熱くなるのが解かる。
「どうしたの?シン」
不思議そうに見つめてきた彼女に、何て言えばいいのかと起きたての頭を出来るだけ回転させる。
「あっ、その・・・どうやって入ってきたんだ?ロックかかったままだっただろ」
苦し紛れにそういうと、彼女は”何だそんなことか”とでも言いそうなほど、さも当然とした態度で言い返される。
「ロックはずすぐらい、十秒よ」
「・・・・・・・・・・・・それ不法侵入って言うんだけど」
そう俺が言っても、彼女は気にせず手を再び動かした。少しして綺麗になった机にトレーを置いた。何の用があったんだ、と尋ねる。すると嬉しそうに微笑みながら言った。
「休暇だしさ、外に行くのに誘おうと思って。シンのバイクとかに乗ってさ、紅茶買ったりお菓子買ったりしたいし」
そういわれて、ふと自然に顔が綻ぶ。
呼吸をしている、笑っている、声を持っている。生きている者だけが持ちえる彼女の些細な行動に安堵した。
あの白い世界のように取り残されないか、温度をもっていないことはないか、その考えが脳裏を掠める。普段は出ないはずの涙が出そうになり、彼女に見られたくない一心でルナマリア手を引いて、その肩に顔を埋める。
もう片手を反対の肩の上に置くと、温もりと、驚く彼女の声に、落ち着きを取り戻すための一息を、吐いた。
「・・・・・・・・夢、見たんだ」
ぼそりと呟くように言った言葉も彼女には聞こえたらしい。
しばらく間をおいて「どんな夢みたの?」とおどけたように、それでもその声の中に優しさを含ませながらルナマリアは言った。
「・・・・幸せな夢・・・でさ。ルナも、皆も其処に居たんだ」
あら、私もいたのね。と言う彼女の声を皮切れに、言葉を続けた。
喉が火傷を負ったような熱さで、ただ涙が頬を伝った。彼女に見られないようにずっと床を見つめたまま、頭は彼女の肩に預けている。
「次の時に、皆いなくなっちゃって・・・・ルナが倒れてた。」
涙が流れていることが嫌でもわかる。でもきっと、自分は床を見ているから、彼女には見えていないはずだと言い聞かせた。
「そっか・・・・・ま、安心しなさい。私はここにいるから」
子どもでもあやすように自分の頭を優しく撫でる。悔しくても、顔を上げることが出来ずにそのままの状態でいた。情けない気もした。
「子どもじゃない」
「子ども、でしょ。私よりかはね」
優しく響く彼女の声に、又一つ涙が頬を伝った。
優しいからこそ、恐かった。その優しさに甘えてしまわないかと、そのせいで誰かを守れなくなるんじゃないかと。
それでも、溢れる感情が止められない自分が、嫌いだった。
しばらくして、目頭の熱さも冷めると、ルナマリアの肩から身を引いた。
多少の気まずさを感じていたが、彼女は先程までの出来事を素知らぬ風に、また俺に微笑みかけながら言った。
「ほら、ご飯食べて、買い物行ってくれるんでしょ」
気にする様子も無く、今度は彼女に腕を引っ張られて椅子に座る。ありがたさとともに、その行為に愛しさすらこみ上げる気がした。差し出された朝食を食べながら、ふと思う。
その性格も、優しい笑顔も、聞き入るような綺麗な声すら、
その全てが君を好きな理由になるのかもしれない、と。
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